俳優や政治家として活動している「山本太郎さん」
肩書が多い山本太郎さんですがどんな学歴&経歴を持っているのでしょうか。
そこで今回は、山本太郎さんの学歴&経歴について
- 学歴
- 芸能界活動
- 議員になった理由
- 政治家活動
を、ご紹介していきます。
山本太郎の学歴&経歴① 高校中退の中卒だった
山本太郎さんの「学歴」を調査しまとめました。
山本太郎の学歴① 宝塚市立中山桜台小学校
山本太郎さんの出身小学校は「宝塚市立中山桜台小学校」です。
宝塚市立中山桜台小学校は昭和51年4月に市内第13番目の小学校として開校されました。
平成8年度より「桜小のまち先生」制度を導入し、
ボランティア活動による地域・保護者の協力を得て、幅広い教育活動に地域の教育力を活用させている。
引用元:宝塚市立中山桜台小学校 公式ホームページ
現在の全校生徒数は450人ほどですが町ぐるみに特化した小学校のようです。
しかし家庭ではとても厳しい母親に育てられたようで幼いころから「家事」をこなしていたそうです。
山本太郎の学歴② 箕面自由学園中学校
山本太郎さんの出身中学は「箕面自由学園中学校」です。
この中学校は「学校法人箕面自由学園」が運営しており系列幼稚園などが開校されているようです。
伝統教育を継続して行うため1951年4月に高等学校が設立されました。
さらに学園教育の精神を幼児教育に反映させるべく、1965年3月に幼稚園が設立されました。
そして高校も設立されているとのことでした。
中学時代には「テニス部」に所属し初彼女ができたというエピソードがあります。
当時の気持ちをこのようの述べています。
- 手編みのマフラー
- 写真入りTシャツ
気持ちが重いと振られたことがあるのだとか。
そんな山本太郎さんですが中学時代に「ヤング日本CM大賞」に応募し見事に対象を受賞されています。
大賞を獲得した際の山本太郎さんの写真がこちらです。
現在の山本太郎さんの面影を感じることができる写真ですね。
山本太郎の学歴③ 箕面自由学園高校
山本太郎さんの出身高校は「箕面自由学園高校」です。
この高校の卒業者には芸能人も多いようで
- THE石原:(お笑い芸人)
- 菅沼駿哉:(プロサッカー選手)
- 斉藤優:(お笑い芸人(パラシュート部隊))
などが箕面自由学園高校を卒業されています。
中学から内部進学したこちらの高校では「剣道部」に所属しています。
中学から運動部に所属していることからおそらく運動は得意のようですね。
山本太郎の学歴④ 高校中退
山本太郎さんは高校に進学したはいいものの部活動をさぼりまくった結果剣道部を退部させられます。
その後1990年高校1年生の16歳の時に「ダンス甲子園」に出場が決定しました。
ダンス甲子園に出場している山本太郎さんの動画がこちらです。
当時はやっていた曲に乗って奇妙なダンスを披露したとのこと。
この番組出演したことで保護者から
あんな裸踊りをさせる学校には、通わせられない
と度々苦情が入るようになりました。
その結果学校でもいじめが起き山本太郎さんは高校へ通わなくなってしまったそうです。
その後留年が確定したと同時に高校を中退しています。
山本太郎さんの最終学歴は「箕面自由学園中学校」という事になりますね。
山本太郎の学歴&経歴② 芸能界での活躍
山本太郎さんの芸能界での活動を見ていきましょう。
1991年 映画出演で知名度が上がる
高校時代から芸能界で活動していた山本太郎さんですが高校中退と同時にダンス甲子園への出場は見送られています。
理由は「高校に通っていることが、出場権」だったからだそうです。
しかし1991年17歳の時に吉田栄作さんの主演映画「代打教師秋葉、真剣です」に出演し好印象を残します。
その当時の山本太郎さんの写真がこちらです。
この映画に出演したことによって「ユニークなキャラ」が定着し俳優活動を始めました。
1996年 売れっ子が出演する「朝ドラ」に初出演
その後様々なドラマや映画に出演し1996年にはNHK朝ドラ「ふたりっ子」に出演しヒロインの恋人役を演じます。
当時の山本太郎さんの画像がこちらです。
2000年26歳の時に出演した「バトルロワイアル」では強烈な役を演じたことで大注目されました。
その当時の山本太郎さんの動画がこちらです。
俳優だけではなくタレントとしても活動しており2008年には「たかじんのそこまで言って委員会」に出演し
竹島は韓国に返したらいい
という発言で大バッシングを受けたそうです。
山本太郎の学歴&経歴③ 芸能界引退して議員になった理由は?
山本太郎さんが政治家を目指すきっかけなどをご紹介していきます。
山本太郎さんの政治家を志すきっかけになったのは2011年3月11日に起きた「東日本大震災」でした。
山本太郎さんは東日本大震災の原発に反対する人物の1人だったそうです。
震災が起きた翌月の4月から市民と一緒に原発反対行動を始めました。
その後政治家に専念するため2012年頃に芸能界を引退しています。
2011年5月27日に上映されたミュージカル「EDEN」が最後の出演となりました。
山本太郎の学歴&経歴④ 議員になってからの活躍
山本太郎さんの議員になってからの活動を見ていきましょう。
2012年 芸能界を引退し「政治家」に
山本太郎さんは2011年の原発反対行動をするために政治家を目指し始めます。
2012年の山本太郎さんの活動をまとめると
- 2012年4月:「ソーラーリフォーム社」に正社員として就職
(太陽光発電設備の販売や施工を手掛ける会社)
- 2012年12月1日:第46回衆議院議員総選挙への出馬
同年には、政治団体「新党 今はひとり」の立ち上げを表明しています。
出馬では主に、「反原発・反TPP等」を訴えましたが、71,028票を獲得するも次点で、落選という残念な結果になりました。
2012年12月1日に落選し自民党が圧勝した際には
「このままでは極右化が進んでしまう。日本から脱出した方がいい」
「はい、終わり。日本は終わりです。みなさん脱出したほうがいいんじゃないすか」
報道陣の前で述べたことにより注目を集めました。
2013年 出馬し初当選
2013年の山本太郎さんの活動をまとめると
- 2013年7月21日:第23回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から無所属で出馬
(666,684票を獲得し4位で初当選しています)
初当選された際には、
- 生活の党
- 社会民主党
- 緑の党
- 新社会党
などの、支援を受けていました。
2014年 生活の党と山本太郎となかまたち合併
2014年の山本太郎さんの活動をまとめると
- 2014年2月:第19回東京都知事選挙で「脱原発」を公約
しかし公約活動は大破し「効果的な動きが出来なかった自分自身の不甲斐なさを感じる」と発言しています。
- 2014年4月:衆議院鹿児島2区で行われた補欠選挙に介護福祉士で脱原発活動家の有川美子を党として公認
結果は「日本共産党の候補者」を上回る票でしたが6人中3位で落選しています。
- 2014年12月14日:党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改名
など様々な活動に取り組み始めました。
2015年~2016年 5つの会に所属
2015年~2016年の山本太郎さんの活動をまとめると
- 2015年1月:「内閣委員会」「行政監視委員会」「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」「国の統治機構に関する調査会」など5つの会に所属
- 2016年:第24回参議院議員通常選挙で東京都選挙区から立候補していた「三宅洋平さん」を支援
(結果は落選)
こちらが山本太郎さんが支援していた三宅洋平さんの顔写真です。
数年前までは支援されるばかりでしたが政治家人生3年目にして初の支援をしています。
2018年~2019年 「れいわ新選組」を設立
2018年~2019年の山本太郎さんの活動をまとめると
- 2018年10月:フランスの「人民共和連合」党首と国際情勢についての意見交換を行った
- 2019年4月10日:「れいわ新選組」を設立
- 2019年7月:第25回参議院議員通常選挙に比例区より出馬
(全候補者で最多となる991,756票を獲得するも結果は落選)
山本太郎さんはこの年に「れいわ新選組」の党代表になっています。
2020年 東京都知事選挙に出馬
2020年6月現在「東京都知事選挙」に出馬しています。
結果は2020年7月5日に発表されましたが残念ながら落選。
様々な政治家活動で注目されている山本太郎さんですが今後の会に注目していきたいですね。