新庄剛志さんはどのように育ってきたのでしょう。
今回は、
- 新庄剛志さんの実家
- 新庄剛志さんの家族構成
- 新庄剛志さんの両親の子育てエピソード
についてご紹介します。
新庄剛志の実家は福岡県!出生地は長崎県
新庄剛志さんが育ったのは福岡県福岡市南区です。
出生地は長崎県下県郡美津島町(現:対馬市)とのこと。
長崎県下県郡美津島町には新庄剛志さんの母親の実家があります。
母親は出産時に里帰りして、自分の実家で新庄剛志さんを産んだのです。
出生後しばらくして、福岡市に戻った形になります。
新庄剛志の家族構成!実家は超貧乏?
新庄剛志さんの家族構成は父親、母親、姉です。
どんな人たちなのかご紹介します。
新庄剛志の父親は植木職人
新庄剛志さんの実家の父親は、新庄英敏さんといい、2011年に食道がんで他界しています。
生前は植木職人をしていて、「新庄造園」を営んでいました。
お酒が好きでよく居酒屋に通っていたそうです。
喧嘩っ早い面があり、ある時は喧嘩でケガをしたことも。
そんな新庄剛志さんの父親ですが、仕事道具をとても大事にしていました。
それ実家で見て育った新庄剛志さんも、初任給で買ったグローブを17年間ボロボロになるまで使ったのだそう。
そのグローブは父親の棺桶に入れて燃やしました。
新庄剛志の母親は気性が荒い?
新庄剛志さんの実家の母親は新庄文子さんといいます。
気性が荒く、夫婦喧嘩で包丁を持ち出したことがあるそう。
父親も喧嘩っ早かったので、ふたりはよく喧嘩していました。
低血圧で朝が弱く、実家で朝食は作れなかったようです。
運動神経が良く、それは新庄剛志さんにも遺伝していますね。
おやつにはよくきな粉餅を作ったそうで、新庄剛志さんはそれが大好きでした。
新庄剛志の姉は難病にかかっている
新庄剛志さんの実家の姉は新庄真由美さんといいます。
新庄剛志さんの2歳上で、難病を抱えています。
病名はALS(筋萎縮性側索硬化症)ではないかと言われていますが、新庄剛志さんが、
- 動くと筋肉が収縮
- 肌が黒くなる
- 95歳みたいな体になっている
と語ったことから、全身性強皮症なのでは?という声もあります。
全身性強皮症は、
- 皮膚や内臓が硬くなる(硬化)
- 硬化の程度や進行は人それぞれ
- 病態は解明されておらず、完治させられる薬もない
といった病気です。
新庄剛志さんは病気の姉を元気づけるためにも野球界に帰ってきたと言われています。
また、新庄剛志さんの実家の姉は頭脳明晰で偏差値76の高校に通っていたとのこと。
運動神経も抜群だそうで、一家でスポーツ万能なのですね。
実家は貧乏だった
父親は植木職人をしていましたが、実家は貧乏で家計が苦しかったそうです。
実家の窓ガラスが割れたらビニール袋で補強したり、夕飯がゆで卵ひとつだったこともあるとか。
新庄剛志さんは貧困の中で育ったようです。
新庄剛志の育て方がすごい!実家の仰天子育てエピソード
新庄剛志さんの実家での育てられ方もすごかったよう。
特に父親のおかげで新庄剛志さんはビッグボスになれたようです。
どのような子育てを実家でしていたのか、数々のエピソードを見ていきましょう。
父親は子どもをプロ野球選手にしたかった
新庄剛志さんの実家の父親は子どもの頃、プロ野球選手になりたかったそうです。
しかし、盲腸を放置して破裂し、腹膜炎を起こして運動ができない体になりました。
そこで子どもが生まれたらプロ野球選手にしたいと思ったのです。
父親は実家にいた頃の新庄剛志さんにソフトボールをさせて野球も続けさせました。
それが新庄剛志さんが野球選手になったきっかけです。
「勉強はしなくて良い」と教えた
新庄剛志さんの実家の父親は「良いものを伸ばそう」という教育方針でした。
「スポーツで突き抜けなさい」と説き、新庄剛志さんは野球に励みました。
実家を出て、ビッグボスになった今、新庄剛志さんもそのような指導もしています。
父親の教えを受け継いだのですね。
新庄剛志に赤を着せた
新庄剛志さんは小さい頃じっとしていられない性質だったようで、両親は苦労しました。
買い物に出かけてもすぐどこかに行ってしまうし、交通事故には9回遭ったのだとか。
そこで実家の父親は、新庄剛志さんがよく目立つように赤色の服を着せたのです。
勝負服は赤を着ることが多い新庄剛志さんですが、実家で幼い頃着せられていたから好んでいるようです。
監督就任会見の時も赤いスーツでしたね。
父親の名言「子育ては木を育てるのと同じ」
新庄剛志さんの実家の父親は「子育ては木を育てるのと同じ」と語っています。
新庄剛志さんの父親は、
- 子育てには父親の役割が大きい
- しっかりと子どもとふれ合うことが大事
- 子育ては見守ることが大事
と考えていました。
このような教育方針の実家で育ったからこそ、新庄剛志さんはビッグボスになれたのでしょう。
新庄剛志は父親から仕事に打ち込む大事さを学んだ
新庄剛志さんは、
- 仕事の厳しさ
- 仕事をやり抜くことの大切さと格好良さ
を父親から学んだと語っています。
父親は飲みに行ってどんなに遅く実家に帰ってきても、翌朝6時には起きて仕事に行っていたそう。
「疲れた」、「今日は休む」などいっさい言わない父親を新庄剛志さんは尊敬していました。
これも新庄剛志さんが野球監督にまでなったルーツのひとつでしょう。
このような実家で育ったからこそ、新庄剛志さんはバリ島の人たちにビッグボスと呼ばれるまでの人格に成長したのですね。
新庄剛志さんの今後の活躍も楽しみにしたいです。