新庄剛志の生い立ち|実家は超貧乏、荒れた学生時代のエピソードも

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日本ハムファイターズの新監督に就任された新庄剛志さん。

そんな新庄剛志さんの生い立ちについて話題が盛り上がっています。

そこで今回は、

  • 新庄剛志の生い立ち
  • 実家は超貧乏
  • 荒れた学生時代のエピソード

についてお伝えします。

新庄剛志の生い立ち①:幼少期~小学校時代

幼少期の新庄剛志さん

新庄剛志さんの幼少期から小学校時代までの生い立ちについてまとめてみました。

父:新庄 英敏さん

バッティングのコーチを受ける父・新庄英敏さん

父・新庄英敏さんは、福岡県筑後市出身で、造園業を営む植木職人でした。

大のお酒好きで、一日の仕事が終わると居酒屋へ直行。

それが日課であり、また、新庄剛志さんもよく連れて行かれたといいます。

新庄剛志さんは、居酒屋にやってくる大人たちと会話をするようになりました。

それからは人見知りすることなく、話ができるようになったそうです。

新庄剛志さんがポジティブな行動や話をするのは、生い立ちの中で経験されたためなのかもしれませんね。

植木職人の父・新庄英敏さん

父・英敏さんは、喧嘩っ早い性格のようで、暴走族集団に「うるさい」と言って立ち向かい、ボコボコにされたとか。

子供がそばにいたというのもあって強い父親を見せたかったのかもしれません。

新庄剛志さんが描く父・英敏さんは

  • 高熱であっても決して仕事を休まない
  • 居酒屋で毎日遅くまで飲んで帰ってきても、翌日朝6時には仕事に向かう
  • 「疲れた」とは決して言わない
  • 道具の手入れを欠かさず、大切に取り扱っていた

という感じだそうです。

新庄剛志さんにとっては、父親の存在がとても偉大だったのではと思われます。

母:新庄 文子さん

喪主を務める母・新庄文子さん

母・新庄文子さんは長崎県対馬市出身で、現在は78歳。

父・新庄英敏さんとご結婚後、福岡県福岡市で暮らしています。

新庄剛志さんの生い立ちでは、母・文子さんの出身地である長崎県対馬市で出生されました。

母・文子さんは、とても気性が荒く、気の強い女性であったようです。

インタビュー中の新庄剛志さん

これまでの新庄剛志さんの生い立ちの中ではこんな出来事があったそうです。

  • 父・英敏さんが、いつものようにお酒を飲んで遅く帰った
  • 寝ている 母・新庄文子さんを「おい!起きろ」といった
  • 起きたと思ったら台所にあった包丁を右手に持った。
  • そのまま父・新庄英敏さんへ大声を上げながら向かっていった
  • 父・新庄英敏さんは、合気道の心得がありました。
  • とっさに交わして事なきを得た
  • それからも一騒動あって、父・新庄英敏さんはおとなしくなった

両親のこととは言え、新庄剛志さんは恐怖感を強く感じたのではと思われます。

姉:新庄 真由美さん

姉弟の画像

新庄剛志さんの生い立ちには二人姉弟で、姉・新庄真由美さんがいます。

姉・新庄真由美さんは、スポーツ万能、成績優秀で偏差値が76という頭脳明晰な持ち主。

ご両親の期待が高まっていると新庄剛志さんは子どもながら感じ取ったそうです。

新庄剛志さんの生い立ちを調べると負けず嫌いなところがあり、お姉さんを追い越したいという強い気持ちの現れと思われます。

姉・新庄真由美さん

現在の新庄真由美さんは難病を患い、現在も治療を続けているそうです。

2011年8月5日、父・新庄英敏さんは食道がんのため、70歳で他界されました。

姉:新庄真由美さんとは、父・新庄英敏さんの葬儀のとき以来、お会いしていないようです。

新庄剛志の生い立ち②:超貧乏な生活環境

新庄剛志さんの生家

新庄剛志さんの生い立ちでは、超貧乏で、貧困生活を送っていたとするエピソードがありましたのでこちら↓をご覧ください。

朝食抜きだった

新庄剛志さんの生い立ちの過程で、朝食抜きの生活だった理由は、母・新庄文子さんが低血圧のためでした。

母・新庄文子さんは朝起きられなかったために、学校給食を残さずに食べて栄養分を補っていたそうです。

新庄剛志さんは学校給食で、栄養をしっかり補っていたという生い立ちだったのですね。

ゆで卵がおかずの晩ごはん

晩ごはんは、父・新庄英敏さんの植木職人としての収入が少なかったために、ゆで卵1個をおかずにして、ご飯を食べていたそうです。

父・英敏さんは、ゆで卵2個をおかずにしていたそうです。

朝食だけならまだしも、夕食のおかずがゆで卵1個だったとは、新庄剛志さんの生い立ちは本当に悲惨な生い立ちだったようです。

自宅の窓ガラスが割れるとビニール袋で補修

自宅の窓ガラスが割れたときは、修繕費を支払うだけの余裕がなかったので、ビニール袋で代用していたとか。

父・英敏さんが仕事で使っている車に乗ると、「バタバタ」と音がしていたといいます。

気づいたら、ガラスがなく、ビニール袋で代用していたそうです。

新庄剛志さんは、車の窓ガラスの代わりにビニール袋を貼っているのがとても不思議に感じた生い立ちだったようです。

学校の上履きがスパイク代わりだった

新庄剛志さんの生い立ちの中では、嬉しい出来事があったようです。

小学2年生から始めたソフトボールや野球ではスパイクシューズを履くものですが、新庄剛志さんにはそれがなかったんです。

スパイクシューズの代わりが学校の上履きでした。

ゴム製のシューズなので、ハードな練習をすれば、ボロボロになって履物としての機能が果たせなくなりますよね。

それでも新庄剛志さんは履き続けたようです。

新庄剛志さんは裸足で運動会に参加し、徒競走では2位と大差をつけて1位になったそうです。

父・新庄英敏さんが気の毒に思ったらしく、プーマの運動靴を買ってくれたそうです。

新庄剛志さんの生い立ちの中では、初めて買ってもらった靴なので今でも印象に残っているそうです。

1杯のラーメンを姉弟で分け合って食べていた

新庄剛志さんはお姉さんと1杯のラーメンを分け合って食べていたという生い立ちがありました。

新庄剛志さんのライフストーリー

福岡の夜は、長浜屋台やまちゃん天神店で食す。

昔屋台をやっていた頃、野球で有名な新庄剛志選手が 愛したラーメンがやまちゃんのラーメンです。

小さい頃、姉と2人で分けて食べていた懐かしい味だそうです。

長浜ラーメンの原点はやまちゃんにあり。福岡に来たら食べてもらいたい逸品です。

引用:Twitter

水洗式ではなく、昔ながらのトイレだった

新庄剛志さんの生い立ちについて、YouTubeで公開されている新庄劇場の取材を受けていました。

新庄剛志さんが話した内容にトイレは

「どっぽん便所」

と発言されていました。

昔ながらのトイレだったんですね。

このときの新庄剛志さんは、プロ野球選手になってお金持ちになったら「水洗トイレのある家に住む」と心に決めていたそうです。

浴室にシャワーはなく、五右衛門風呂で一週間は同じ水を使っていた

新庄剛志さんの生い立ちについて先程同じく、新庄劇場で取材した内容に、

「五右衛門風呂に入っていた」

「お湯は一週間使っていた」

と発言されていました。

ここでも新庄剛志さんは将来は「シャワー付きのお風呂に入る」と心に誓っていたそうです。

現在の新庄剛志さんからは、とても想像できないほど、騒然とした生い立ちですよね。

取材を受けている新庄剛志さん

新庄剛志さんも姉の新庄真由美さんも欲しい物があっても買ってもらえないという環境の生い立ちだったんですね。

けれども新庄剛志さんはポジティブな考え方で日々を過ごされていたのには、驚きます。

野球を始めたきっかけ

新庄剛志さんの生い立ちでは福岡県福岡市立長丘小学校へ通学されていました。

新庄剛志さんの生い立ちを調べると、小学2年生のときから父・新庄英敏さんとキャッチボールをするのが日課でした。

その傍ら、父・新庄英敏さんが営んでいる造園業を手伝っていました。

庭石などの運び方を繰り返していたら、背筋力や握力が身に付いたといいます。

新庄剛志さんが小学3年生ときは、ソフトボールと野球をやり始めました。

このときの新庄剛志さんは、とにかく負けず嫌いでした。

なので日々練習に打ち込み、実力を伸ばした結果が生い立ちに現れていました。

新庄剛志さんのお姉さんもソフトボールをやっていました。

お姉さんを追い越したいという強い意志が働いた生い立ちを過ごされたんですね。

小学6年生の頃の新庄剛志さん

小学6年生のときに出場したソフトボール大会で、審判に対して球技中に判定に猛抗議をしたそうです。

審判の判定は覆ることなく、気の毒に思ったソフトボールチームの監督はソフトボールチームを作ろうと提案をされました。

それに対して、新庄剛志さんはわずか数日でメンバーを集めたんです。

そして「長丘ファイターズ」という名のソフトボールチームを結成したというのも生い立ちにありました。

新庄剛志さんが原点となった少年野球チームの結成は、生い立ちの一つというわけですね。

新庄剛志さんは四番でエースだったそうです。

新庄剛志の生い立ち③:中学校時代

新庄剛志さんの生い立ちでは福岡県福岡市立長丘中学校へ通学されていました。

新庄剛志さんは中学校へ入学すると、軟式野球部に入部され、中学時代の生い立ちが始まりました。

強肩と走力が野球部監督に認められ、レギュラーとして活躍されるという生い立ちを過ごしました。

しかし、中学2年のときに参加した全国大会では、ベンチ入りから外されたというエピソードがありました。

その理由は、監督いわく、試練を与えるためということでした。

この結果に対して悔しさのあまり、涙を流したそうですが、今では感謝の気持ちでいっぱいなのだそうです。

新庄剛志の生い立ち④:高校時代

新庄剛志さんの生い立ちでは西日本短期大学附属高等学校へ通学されていました。

入学するきっかけとなったのは、父・新庄英敏さんがプロ野球選手になるならとすすめてきたのだそうです。

西日本短期大学附属高等学校は野球やバレーボールなどの強豪校で有名な学校なんです。

新庄剛志さんは、スポーツ特待などでの推薦枠ではなく、あえて一般入試で進学し、寮生活を始めたのが高校時代の生い立ちの始まりでした。

実を言うと、父・新庄英敏さんもプロ野球選手になることを目指していました。

けれども体調を悪くしたために、断念し、新庄剛志さんへ夢を託されていたそうです。

新庄剛志さんは高校へ入学後、硬式野球部に入部しました。

強肩と走力で野球部監督に実力が認められ、高校1年の秋にはレギュラーで活躍されたという生い立ちがあります。

野球部監督の采配で、ポジションは左翼でしたが、時々、投手としても起用したそうです。

一方で、父・新庄英敏さんはときどき、新庄剛志さんの練習を見学しに来ていたそうです。

きっと、新庄剛志さんの活躍ぶりをご自分の目で確認したかったのだと思われます。

高校生時代の新庄剛志さん

そして高校3年の甲子園出場をかけた県大会では、大活躍されました。

新庄剛志さんの打順が巡ってきたとき、8回裏6対0で1打出ればサヨナラ・コールド勝ちとなる場面でした。

周りの期待に答えるかのようにサヨナラ打を放ち、見事決勝へと勝ち進みました。

決勝では甲子園出場経験があり、強豪校でもある福岡大濠高等学校との対戦でした。

最終打席となった新庄剛志さんは、二塁打を放ち、サイクル安打を達成。

しかし、新庄剛志さんにとっては高校生活最後の年。

甲子園出場の夢を果たすことができませんでした。

県大会での活躍ぶりを阪神タイガースのスカウトマンの目に止まり、ドラフト会議で2位指名すると約束されたそうです。

実際には、2位指名ではなく、5位指名でした。

その結果を見て、プロへ進むことをやめて、九州産業大学への進学を考えていたそうです。

その考えが一変するような出来事がありました。

ドラフト会議終了後、阪神タイガースのスカウトマンが、入団交渉のために新庄剛志さん宅を訪れました。

阪神タイガースが差し出した契約金2,800万円を見て入団契約をすることに決めたそうです。

ドラフト閉めれたときの

新庄剛志さんは、公言どおり阪神タイガースへ入団し、プロ野球選手として歩むことになりました。

荒れた学生時代のエピソード

高校3年の卒業前の学期末試験最中に、ある事件が起きました。

内容についてはこちら↓です。

学期末試験最中

その日はクラスで学期末のテストがあった。

斜め前に座っている女の子が早めに問題を解き終わって、答案用紙の裏に絵を描いていた。

それに先生が気づいて彼女を叱った。

その子は答えを書き終わって時間潰しにやっていただけだと弁解したけど、先生の怒りは収まらなかった。

引用:新庄剛志『わいたこら。』
クラスの女子生徒を擁護

そのとき、僕は彼女の言い分が正しいと思った。

そして「テストも解かないで絵を描いているのはダメだけど、全部問題を解き終わっているんだから、絵を描いても別にいいじゃないですか!」と、先生に抗議したんだ。

「なんだと、お前には関係ないことだ!」 先生と僕との間で言い合いとなり、つい、手を出してしまった。

引用:新庄剛志『わいたこら。』
クラス担任・野球部監督からの叱責

野球部の監督が顔面蒼白で飛んできて「お前、どうするんだ。もうプロ入りが決まっていることをわかっているのか?」と、やっぱり叱られた。

それから生徒相談室で7時間くらい正座をさせられて、来る先生、来る先生にこっぴどく叱られたんだ。でも、まあ仕方ない。

「プロに行くのが決まっているのに先生を殴るなんて自覚が足りなすぎる。もうプロには行かせない。とりあえず親を呼べ」

引用:新庄剛志『わいたこら。』
父親の呼び出し・謝罪

そのとき親父は広島で仕事をしていたんだけど、大急ぎでやってきた。あの時代、携帯もなかったのに、どうやって連絡を取れたんだろう。

戻ってきた親父は、先生たちに必死で謝っていた。

引用:新庄剛志『わいたこら。』
穏便に解決

いろいろあったけど、教頭先生が「こいつはプロで伸びるからなんとかしてほしい」と校長先生を説得してくれたおかげで、僕はプロ入りすることができた。

引用:新庄剛志『わいたこら。』

こちらが荒れた学生時代のエピソードによる生い立ちでした。

プロ野球球団への入団取り消しとならなかったのは幸いでした。

新庄剛志の生い立ち⑤:阪神タイガース入団

新庄剛志さんは、西日本短期大学附属高等学校を無事に卒業されました。

同時に阪神タイガースへ背番号63を背負って無事入団を果たし、プロ野球選手としての生い立ちが始まりました。

プロ2年目にして一軍へ昇格

スタメン出場を果たし、初打席の初球を見事なホームランで飾りました。

プロの世界に入っても新庄剛志さんは、常に輝いているように見えますよね。

新庄剛志さんの生い立ちについて、幼少期からプロ野球球団入団までを紹介しました。