bigsingerといわれている矢沢永吉さん。
そんな矢沢永吉さんの生い立ちが壮絶と話題になっています。
そこで今回は、矢沢永吉さんの生い立ちについて
- 生い立ち
- 成り上がりまで
- 在日韓国人の噂
- 世間の声
を、ご紹介していきます。
矢沢永吉の生い立ちが壮絶!~父親と死別、母親の蒸発~
歌手の矢沢永吉さんの生い立ちについてまとめました。
母親が蒸発後父と死別
矢沢永吉さんは1949年9月14日広島県広島市に産まれました。
父親・母親・矢沢永吉さんの3人で暮らしていましたが、母親が3歳の頃に蒸発。
その後父親と矢沢永吉さんは親戚の家を転々としていたそうです。
しかし父親は原爆の後遺症で矢沢永吉さんが小学校低学年の時に亡くなっています。
幼い頃母親に捨てられ父親とは死別。
1人ぼっちになってしまった矢沢永吉さん。
親戚の家をたらい回しになれながら最終的に父方の祖母の家で暮らし始めます。
極貧生活の始まり
戦後まだ間もないこともあってか、矢沢永吉さんと祖母は極貧生活を余儀なくされました。
年寄と子供だけの生活ではお金を稼ぐこともできません。
しかし矢沢永吉さんは生活保護を受けながら学校に通い過ごしていたそうです。
給食費や学費は免除になるもののそんな生活が恥ずかしくてたまらなかった矢沢永吉さん。
子供の頃それを見ていた同級生からは
と、馬鹿にされケーキを投げつけられることもあったそうです。
めげない強い心を持っていた少年期の矢沢永吉さんは
と、このよな想いを抱くようになりました。
なんとか極貧生活を続ける中で中学生になった時。
ラジオから聞こえてくるビートルズの音楽が矢沢永吉さんのロック心に火をつけます。
矢沢永吉さんは極貧生活からどのようにして成り上がったのでしょうか。
矢沢永吉の底辺から成り上がりまで!そして現在は?
矢沢永吉さんの成り上がり伝説をまとめました。
リバプールを求め横浜へ上京
ビートルズの音楽に心打たれた矢沢永吉さん。
広島で行われたザ・ベンジャーズの公演を見たのをきっかけにスターになることを決めたようです。
高校生になり当時ものすごく流行っていたエレキギターを目の前にして感動することも。
そして高校卒業とともに横浜へ上京したそうです。
レコード会社から門前払い
上京後はアルバイト生活の中で貯めたお金で自分のエレキギターを購入。
バンドを組むなどして益々ロックの道へと歩み始めます。
矢沢永吉さん自身で作詞作曲しデモテープをレコード会社に送るもすべて門前払いだったそうです。
しかしそこで諦めないのが矢沢永吉さん。
当時に事をこのように振り返っていました。
どんな事にも前向きに考え進む矢沢永吉さんに転機が訪れます。
バンド「キャロル」としてメジャーデビューを果たすことに。
どん底から成り上がり
「絶対ビックになってやる」という1つの想いだけでどん底からデビューを果たした矢沢永吉さん。
ロックがメジャーではなかった音楽業界にいい衝撃を与えたそうです。
しかしそのキャロルはメンバー同士に亀裂が生じ1975年4月15日に解散。
その後は矢沢永吉さんはソロとして活動を始め、1975年9月21日に渡米ライブを行っています。
18歳の作詞作曲した「I LOVE YOU, OK」を披露し大成功のソロデビューを果たしました。
キャロル解散後にはキャロルの矢沢ではなく「ソロの矢沢」として知名度を高めていきます。
1981年9月25日に第1弾海外版アルバム「YAZAWA」を全世界発売。
その後拠点をロサンゼルスに移し世界の矢沢として認知され現在に至ります。
幼少期には馬鹿にされていた矢沢永吉さんでしたが、見事どん底から成り上がっています。
矢沢永吉は在日韓国人?生い立ちが原因でいわれるように?
矢沢永吉さんが在日韓国人と言われる理由に生い立ちが関係しているようです。
幼い頃に母が蒸発し父親とは死別してしまった矢沢永吉さん。
父親と死別後親戚中をたらい回しにされたのではなく「在日韓国人の子供になったのでは?」と言われているそうです。
その他にも矢沢永吉さんが在日韓国人と言われている理由がこちら。
- キャロルの元メンバー「ジョニー大倉さん」が在日韓国人だった
- 矢沢永吉さんの親戚や兄弟が在日韓国人らしき名前で活動している
- 官報の中に矢沢永吉さんの名前があった
矢沢永吉さんが在日韓国人である噂に根拠はありません。
ただ元メンバーが在日韓国人だったことから矢沢永吉さんも同じだと憶測が飛び交っただけとも言われています。
官報に矢沢永吉さんの名前があったとしても同姓同名の可能性も否めませんね。
その事から矢沢永吉さんが在日韓国人である可能性は低いことが分かりました。
矢沢永吉の生い立ちに世間の声
矢沢永吉さんの生い立ちについて世間の声を見ていきましょう。
親戚を渡り歩き最終祖母に育てられ高校を卒業を機にギターと5万円を握りしめ上京ロック界の頂点に登り詰め天下を取った矢沢永吉永ちゃんは人に夢と希望と勇気を与えてる
人間なんで素性生い立ちを恨む事はあるだろうだからといって他人を殺める理由など何処にない理不尽極まりない事件に憤りしかない
— じゃっど (@KAPTn1JcKQFcHIn) May 29, 2019
ハートで汗をかいてるかどうか。大事なこと。
読んでいると、永ちゃんの生い立ちからスーパースターに駆け上がるまでの、深い話に自然と涙がこぼれた。(笑)
『矢沢永吉激論集』【成り上がり】#矢沢永吉 #成り上がり #ハートに汗をかいてるかどうか。#大事なこと。 pic.twitter.com/p949Dqpgmx
— ラーメン好き美容師 ながはまゆうじ (@cutgao) December 11, 2018
矢沢さんも広島出身だった。私は一時期、矢沢永吉さんの生い立ちから楽曲、全てに心酔してた。今も「成りあがり」や「アー・ユー・ハッピー?」は、本棚の目立つところに置いてる。
— Jini (@TK20100710) June 9, 2020
このように矢沢永吉さんの生い立ちから学ぶ方や感動する方など様々でした。
どん底の人生から成り上がった矢沢永吉さん。
その生い立ちは悲しいものでもありまた現代の若者の糧ともなる行動力でした。
今後矢沢永吉さんはどのような活躍を見せてくれるのか楽しみですね。