東京オリンピック&パラリンピック組織委員会の次期会長に川淵三郎さんが有力候補として浮上しています。
過去にサッカー代表の監督も務めていたという噂もある川淵三郎さん。
一体どのような経歴や学歴をお持ちなのでしょうか。
そこで今回は、川淵三郎さんの経歴について
- 経歴&学歴
- ジャッジに激怒した過去
- 問題発言や炎上とは?
- 世間の声
を、ご紹介していきます。
川淵三郎の経歴は?元サッカー代表監督だった!?
川淵三郎さんの経歴についてまとめました。
古河電気工業入社
川淵三郎さんは大学卒業後の1961年月に古河電気工業へ入社しています。
高校時代から始めたサッカーを活かし、横浜電線製作所サッカー部に加入しました。
試合で活躍している川淵三郎さんの画像がこちら。
古河電機の中心選手として活躍していたそうです。
営業マンとしての評価は「生意気だが仕事はできる人間」だと話していました。
東京オリンピック出場
川淵三郎さんが古河電機のストライカーとして活躍する中、1964年に東京オリンピックサッカー日本代表の選手に選ばれます。
アルゼンチンとの対戦で1次リーグを揚げるのは難しいと言われていましたが、3-2で日本が優勝!
川淵三郎さんは1点を取る大活躍。
見事サッカーの強豪国から優勝を勝ち取りました。
そんな川淵三郎さんは当時の練習時間や想い入れについてこのように話しています。
東京オリンピックに出たいと思っていた8年間は、年間1,000時間ほどの練習をしました。
大切なことはアルゼンチンに1点入れたことではなく 8,000時間練習した、そのプロセスこそが今の人生に役立っているのです。
サッカー選手として実力だけではなく忍耐力も培われたと言う事ですね。
現役引退からコーチへ
オリンピックで大活躍した川淵三郎さんは腰の持病から1970年に現役引退を発表。
その後、古河電気工業サッカー部コーチに就任し指導に努めてきました。
1980年には日本代表の監督代行を務めるなど引退後もサッカー事業へと携わっています。
今で言うJリーグは、川淵三郎さんがアマチュア選手の活躍の場を広げることに成功した賜物。
その根源は自身がドイツでの練習風景を見て衝撃を受けたことから始まったそうです。
初めて見るサッカーの技術フィルム。
10歳たらずの子どもが大人に混じってサッカーをする光景。
これまで見たことのなかった身体障害者のスポーツ。
毎日が新鮮で、衝撃の連続だった。
川淵は青春時代に本物の「地域に根ざしたスポーツクラブ」を体験し、その素晴らしさを知った。
衝撃を受けた練習風景を日本でスペシャルリーグとして起用。
プロ化が欠かせないと言う決断に至った川淵三郎さんの行動力に感心です。
日本トップリーグの代表に就任
川淵三郎さんは現在日本トップリーグの代表理事会長を務めています。
そんな川淵三郎さんの代表理事会長になるまでの経歴まとめがこちら。
- 1976年~1979年:日本サッカーリーグ常任運営委員就任
- 1980年6月:LA五輪強化部長に就任
- 1980年11月:日本代表監督代行就任
- 1982年6月:古河電気工業・名古屋支店金属営業部長
- 1988年6月:古河産業へ出向、取締役伸銅品部長に就任
- 1988年8月:JSL総務主事就任
- 1988年10月:日本サッカー協会理事就任
- 1991年3月:強化委員長・プロリーグ設立準備室長就任
- 1991年11月:古河電気工業退社
- 1994年5月:日本サッカー協会副会長就任
- 1996年7月:2002年W杯開催準備委員会実行副委員長就任
- 1997年12月:2002年FIFAW杯日本組織委員会理事就任
- 2002年7月:Jリーグチェアマン退任・日本サッカー協会会長(キャプテン)就任
- 2011年6月~2012年11月22日:東京都教育委員就任
- 2012年6月:日本サッカー協会名誉会長退任・日本サッカー協会最高顧問就任
- 2015年1月:日本バスケットボール協会改革チェアマン就任
- 2015年5月:日本バスケットボール協会会長就任
- 2016年6月:日本バスケットボール協会会長退任・エグゼクティブアドバイザー就任
- 2017年3月:公立大学法人首都大学東京理事長退任
- 2019年12月:東京オリンピック・パラリンピック選手村村長就任
川淵三郎さんは輝かしい経歴を持っていることが分かります。
川淵三郎の学歴まとめ!野球部からサッカー部へ転身
出身小学校
川淵三郎さんの出身小学校は大阪府高石町立高石国民学校です。
1943年に入学し吉岡たすくさん指導の下、演劇に取り組んでいたそうです。
高校1年生までNHKの放送劇に出演。
小学校6年生時には海の子の主人公を務めるなど、演技力も高く評価されていたと言います。
川淵三郎さんが主人公を演じた海の子の画像がこちら。
中央におられるのが川淵三郎さんです。
出身中学校
川淵三郎さんの出身中学校は大阪府高石町立高石中学校です。
1949年に入学後野球部に所属。
ポジションは公表されていませんが、全大阪大会に出場し準優勝を果たこともあるようです。
試合に出場した川淵三郎さんの画像がこちら。
当時のメンバーの中でも身長は大きくはないようですが、小柄な体格を生かした外野で活躍していたのかもしれませんね。
出身高校
川淵三郎さんの出身高校は大阪府立三国丘高校です。
1952年に入学後野球ではなくサッカー部に所属。
友人の「大会に出場すると四国に行けるぞ」という言葉を信じサッカー部を選んだそうです。
川淵三郎さんの出身高校は当時有名なサッカーの強豪校。
しかし、当時はサッカー部の人気がなく10人の部員で活動し、試合などはありあわせのメンバーで出場していたと言います。
サッカー部員として活躍する中で扁桃腺の病気になり退部を先輩に相談。
先輩から「辞めないでほしい」とお願いされてサッカー部員を続けて次第に没頭するように。
新聞では超高校級FWと書かれるほどの有力な選手だったと話しています。
出身大学
川淵三郎さんの出身大学は早稲田大学第二商学部商学科です。
元々大阪大学を目指していたそうなのですが予備校にも通わず高校でサッカー漬けの毎日。
後輩にサッカーを教えるなど、意味のある時間を過ごされていました。
そのおかげか後輩からは慕われ「川渕さんが指導してくれたお陰です」と全国大会に出場しています。
その後大阪サッカークラブの設立者から早稲田大学への推薦をとお願いされ、進学先を早稲田に変更。
2浪するも早稲田大学ではスポーツマンとして活躍されています。
川淵三郎さんの功績まとめがこちら。
- 1957年:早稲田大学蹴球部に入部
- 1957年:大学1年で関東大学リーグで優勝
- 1958年:大学2年で日本代表に初選出
- 1959年:ローマ五輪アジア予選出場
- 1960年:第7回チリW杯アジア予選出場
出場した大会で好成績を収めるなどチームのムードメーカー兼ストライカーとして有名だったそうです。
野球部からサッカー部へと転身し、見事にサッカーの魅力にハマった川淵三郎さん。
実力をグングン伸ばし推薦で大学へ進級するなどサッカー人生を歩まれています。
川淵三郎の学経歴|問題発言や激怒で炎上の過去も
川淵三郎さんの問題発言や激怒した過去などを見ていきましょう。
ジャッジに激怒!?
川淵三郎さんが激怒したのはサッカーの試合の審判に対してでした。
日本サッカー協会の元会長で日本トップリーグ連携機構会長の川淵三郎氏(84)は13日にアジアチャンピオンズリーグ(ACL)準決勝で蔚山(韓国)に1―2で敗れたJ1神戸がビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)による不可解な判定を受けたことに大激怒した。
引用元:excite
試合を完成していた川淵三郎さんは2020年12月14日に自身のSNSにて怒りを投稿。
怒りが収まらない。
でも自分のルール解釈に間違いがあるかもと黛審判委員長に聞いてみた。
この件会長からも指示があったとのこと。
得点につながる一連のプレーの中で問題があればVARの対象にはなる。
が今回は接触プレーを問題と提起したVAR担当とそれを簡単に認めた審判に問題ありと聞いて納得
引用元:excite
審判がオフサイドの判定を下すも納得がいかない川淵三郎さん。
ヴィッセル神戸の2点目のVARによる得点の取り消しは大きな疑問が残る。
あそこまで遡って適用されるのかという事。
しかもVARでファールと認定したプレーはその時審判が問題なしと見てプレーを続行させている。
それをファールと問題提起したVAR担当、そしてそれを否定せず認めた審判に大きな問題がある
引用元:excite
最終的にはサッカー連盟に意見書を出す方針を固め、サッカー選手の最後までの活躍をたたえていました。
数々の問題発言に炎上?
川淵三郎さんは森会長の後任と呼ばれ大きく名前が挙がったこともありました。
後任が川淵氏になろうとしていた時点では、マスコミ内でも懐疑的な意見を持っていた者も少なくない。
しかし、過去の数々の問題発言がSNSで浮き彫りとなり後任には認められないとのこと。
川淵三郎さんの過激な問題発言まとめがこちら。
ハリルホジッチ監督の時、ほとんど勝てる可能性がないので、オランダ、イタリア、アメリカのサッカーファンのことを考えれば出場出来るだけラッキーと考えてW杯を楽しんでくださいと講演などで話していた。
西野監督に変わった今は何か起きるかも知れないというドキドキ感が今朝になっ自分に出てきた
バヒド・ハリルホジッチ氏を引き合いに出し侮辱ともとられる発言をしています。
SNSにこのような内容を投稿した翌日、取材に対してあっけらかんとした姿で挑んだのもまた炎上。
ハリルホジッチが更迭になって良かったと言ったら、炎上しました。
でも結果……見てみろっ! って僕は言いたい。
世の中はやっぱり、いろいろなことを常識的に判断するから、なかなか良い方向に進まないんでね
サッカー業界で偉業を成し遂げた川淵三郎さんですが発言に問題があり炎上してしまっていますね。
上に立つものとして言い訳がましく威厳は見られません。
韓国差別で炎上
川淵三郎さんは韓国人を差別する発言で炎上しています。
炎上まとめがこちら。
テレビ出演した際も韓国を差別する発言をされていました。
川淵三郎のひどい動画を発見。この人を会長にしてはダメでしょう。
「だいたい韓国の人は、中国がお兄さんで日本は弟だと。弟は兄の韓国の言う事をどうして聞かないんだと。聞くのが当たり前じゃないかっていうのがずっと韓国の人の基本的な考え方。根底にある。」pic.twitter.com/LFzC2ExJY2— HOM55 (@HON5437) February 11, 2021
ソウルとの試合もこなしてきた川淵三郎さんですが差別用語で炎上してしまっています。
川淵三郎さんの性格に問題あり?
川淵三郎さんはサッカー人生を歩み、スポーツにも携わるほどの経歴をもっています。
偉業を成し遂げてきた川淵三郎さんの性格は独裁者。
少し強引な所や発言があるところからそのように評されているようです。
川淵三郎さん自身も独裁者であることを認めておられます。
川淵氏は自身の“独裁”ぶりも、目立ちたがり屋である点もパーソナリティとして認めている。
有名な“キャプテン”という呼び名も、メディアに対して自ら呼ぶようにお願いして出来た呼び名。
どうすればサッカーの話題がメディアに取り上げられるのか?
どう自分をブランディングすればよいのか? という視点を持ち合わせた稀有な存在であることは間違いありません。
独裁者であっても理念を持つ独裁者であること。
私は、私利私欲を捨てて理念があれば独裁者でもいいと思っています。
理念とは「社会に役立つこと」です。
理念があればみんなが幸せになれる。
だから組織には理念が必要なんです。
川淵三郎さんは良き独裁者としての評判も良いようです。
川淵三郎の学経歴に世間の声
川淵三郎さんの経歴や問題発言に世間の声を見ていきましょう。
川淵三郎さん
経歴的にはベストかと、、
Jリーグ・Bリーグ初代チェアマン pic.twitter.com/rROJWset9a
— hiro (@hirohiro_aaa) February 12, 2021
森喜朗爆弾こえーな。森喜朗のせいで川淵三郎まで「80代にもなって老害1の後任を引き受けたら感謝されると勘違いした老害2」という名前を歴史に残すことになってしまった。それさえなければ輝かしい経歴のおじいちゃんで済んだのに。即辞退しなかったのは自業自得とは言え恨んでも恨みきれまい。 https://t.co/4Kn89MWrNZ
— いもいもい (@jdtp3twbptwm) February 12, 2021
川淵三郎さんの経歴を凄いと賞賛する方がおられました。
今後の、川淵三郎さんの活躍に期待ができそうですね。