国分太一のビビットでのコメント全文!ジャニーさん最期のエピソード

号泣

2019年7月10日放送のTBS系「ビビット」で、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんが2019年7月9日午後4時47分にくも膜下出血で亡くなったことを報じました。

生放送の「ビビット」でMCを務めるTOKIO・国分太一さんが、スタジオで号泣してコメントしたことが話題になっています。

今回は、その国分太一さんの「ビビット」でのコメントを全文、動画と文字で紹介します。

ジャニー喜多川さんの最期がどんな様子だったのか、詳しく話されています。

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「ビビット」での国分太一、ジャニー喜多川の訃報の号泣動画

まずは、国分太一さんが「ビビット」で、ジャニー喜多川さんの訃報を号泣しながらコメントした動画を紹介します。

続いて、国分太一さんが話した内容を文字で紹介します。

動画が見れない環境の方はこちらを御覧ください。

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「ビビット」での国分太一、ジャニー喜多川の訃報の号泣コメント全文

号泣

いきなり号泣シーンから始まる「ビビット」。しばらくして、国分太一さんが口を開きます。

おはようございます。

この顔(泣き顔)一番ジャニーさんが嫌がっていると思うんですけど、やっぱり長かったんですよね…残念です

お伝えしているように、ジャニーズ事務所代表取締役ジャニー喜多川が昨日亡くなりました。87歳でした。

(生放送で)気持ちの整理が付かないまま番組の時間が来てしまいました。

本当に今、泣いている姿を見たらジャニーさん相当怒ると思うんですけどね。

こんなつもりじゃなかったんですけど、すみませんジャニーさん。

生放送なので気持ちをその都度整理しながら、国分太一さんが話します。

国分太一とジャニー喜多川の出会い

ジャニーさんとの出会いは自分が13歳のころで、振りかえると31年が経ちました。

その31年の間で、ジャニーさんには、エンターテインメントの素晴らしさ、この仕事の魅力、難しさ、たくさんのことを教えてもらいました。

この番組を始めるときも非常に迷いました。

でも、ボクの心の中にはジャニーさんがずっと言っていた「YOUやっちゃいなよ」っていう、その言葉がずっと胸の中にあります。

これは、色んなことをチャレンジしているジャニーズ事務所の所属タレント全員が、持っている言葉です。

「YOUやっちゃいなよ」っていう言葉で、新たな挑戦、チャレンジができるようになったんだと僕はそう思っています。

本当に感謝しかありません。ジャニーさん本当にありがとうございました。

すみません、なんかこんなつもりじゃなかったんです。毎回泣いちゃっているわオレ。

という言葉とともに、亡くなったジャニー喜多川さんへの思いを明かしました。

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ジャニー喜多川さんが亡くなってから

号泣3

真矢みきさんと堀尾正明さんに画面が移り、ジャニー喜多川さんが倒れてから3週間、ジャニーズ全員で奇跡を願ったが叶わなかったことを触れた上で、「(訃報を)いつ知られたんですか?」という真矢みきさんの問いかけに対し国分太一さんは答えます。

知ったのは昨日の午後20時すぎでした。

電話で「(ジャニー喜多川さんが)亡くなりました。」という話を聞きました。

今、真矢さんが言ったように、この3週間、奇跡が起きるように「回復することしか考えていなかった」のでやっぱり、受け止めるのに相当時間がかかりました

ジャニーさんの顔見たときは全然涙が出なかったんですけどね。

こうやって改めてVTRで振り返ると、ジャニーさんの凄さを感じることができて…。

ジャニー喜多川さんの病室にて

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「ジャニーさんの病室でどんなお話をされたんですか?」と真矢みきさんが問いかけると、

集まれる人間(ジャニーズタレント)は全員集まったと思います。

松さん(松岡昌宏)がいるところに何となくみんな集まっていて、ジャニーさんがいる空気の中、思い出話をしたりとか、「やぱりあの人すごい人だったね」とか、「ジャニーさんの持つ魅力って何だったんだろうね」っていう話をしました。

(話が)尽きなかったですね。

でも、泣いてるメンバーもいましたけれども、結構みんな、なんとも言えない空気を受け止めながら、そこで思い出話を語っていたような感じですね。

「そのとき(ジャニー喜多川さんが亡くなったとき)も音楽が流れていたんですか?」という堀尾正明さんの問いかけに対し、

それがですね、昨日(ジャニー喜多川さんが亡くなってから)はあんまり覚えてないんですよね。

ジャニーさんのところに行って、ジャニーさんを触ったりはしたんですけど。

音楽がかかってたのかな、どうだったのかな…。

そこらへんがちょっと曖昧ですけれども。

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ジャニーさんを囲んで語り合った3週間

号泣4

続いて、「この3週間はそうやって常に、ジャニーさんがプロデュースした音楽やビデオも流れていたんですか?」と堀尾正明さんが問いかけます。

そうですね。病室では3週間、ジャニーさんが育ててくれた新旧歴代のグループのジャニーズの曲までかかってたんですよ。

それがプレイリストで、一回につき11時間流れるように作られていたんですよね。

だから、ジャニーさんは1日につきそれを2回聞くことになる。それを3週間続けたということは、相当飽きたでしょうね(笑)

各グループ3曲くらい流れたりとか、それとは別に病室にはモニターがあって、今までの僕ら歴代のグループのコンサート映像が流れたりとか、そういうものをずっと流していました。

「(好きな音楽を流すことで)周りのみなさんの気持ちが分かるようですね。また、ジャニーさんは好きなものを食べていたんですよね。」と真矢みきさん。

そうなんです。

なんか、誰が言ったかは分からないんですけど、五感を刺激すれば回復するんじゃないかということで、ジャニーさんの好きだった食べ物を持ってきました。

例えば、ジャニーさんは焼き肉弁当が好きだったりしたので、ジャニーさんの前で、みんなで焼き肉弁当を食べて匂いを伝えたりとか。

堀尾正明が「反応はあったんですか?」と聞くと、

はい。

ちょっと手を動かしたりとか、それを見て「やっぱ回復に向かってるな」と思ったり、お医者さんも「驚いているところもある」と聞いていたので、色んなアーティストがどうやったらジャニーさんが回復するか考えながら(過ごしていました)。

時間も、夜中でも(常に)誰かしら居たような感じでしたね。

病室内でも、普段喋ることのない後輩だったりとか、そこまで深く話さなかった先輩と、ジャニーさんを囲んで、「当時どんな感じだったんですか?」とか、知らないジャニーさんの話だったりとかを聞けた3週間でもあったんですよね。

それもなんか、憎いですけど、それもジャニーさんが演出してたのかなーと。

別れる時間をいっぱい作ってくれて、僕が31年間で知らなかった部分も、他の先輩や後輩から教えてもらえたという貴重な時間でしたね。

病室で迎えた七夕でのエピソード

笹

7月7日を迎えるんですよね、病室で。

七夕なので、笹をジャニーさんの病室に置いて、ジャニーさんと今後やりたいことをメンバー一人一人が短冊に書いて、飾ったりとかして。

僕は、若い頃からジャニーさんにすっごく怒られていたんですよ。

例えばテレビでこうやって泣くと、「YOU最悪だよ!演者が泣いちゃダメだよ!それは絶対我慢しなくちゃ駄目だよ」っていうようなことをものすごく怒られていたんです。

だから、(短冊には)『ジャニーさんが元気になったら、TOKIOをバチうちしてください』と書きました。

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ジャニーさんは野球で例えると二軍の監督?

ジャニー喜多川

堀尾正明さんが、ジャニーさんは決して表に出てこない「黒子」に徹していたその哲学について問いかけたところ、

大人になって、そういうところもジャニーさんと語りたいなと思ってはいたんですけど、最期までその答えを聞くことはできませんでした。

でも、ジャニーさんは野球が好きだったので、分析の仕方が難しいですけど、僕はジャニーさんを『二軍の監督』だと(思っていた)、一軍の監督ではないんですよね、ジャニーさんは。

二軍って若手がいるじゃないですか。

だから、基礎だったり、精神論を二軍で学び、そして一軍でデビューすると思うんですよ。

一軍になるときにはプロフェッショナルになっているから、プロフェッショナルになってデビューした僕たちには「あとは自分たちで考えてやりなさい」という風に育てて下さったんです。

基本的には二軍の監督で、「若い子たちをどうやったら世の中に出せるか」に命をかけていた人だったんだと思うんですよね。

まとめ~国分太一はビビットでジャニー喜多川の最期を伝えてくれた~

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国分太一さんがコメントの最後で次のように言われます。

こうやってジャニーさんのところに集まるということは、ジャニーさんの性格や空気がそうさせてくれてると思う反面、どこか、所属タレント全員が「ジャニーさんを心配している」というところもあるのかなと。

号泣6

ジャニーさんに対して、「YOU大丈夫?」って言いながらみんな集まってるような感じがありました。

このように、色んな方の思いが交錯し、多くの方に温かく見守られて最期を迎えられたジャニー喜多川さんのご冥福を心よりお祈り申し上げたいと思います。

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